「マイ・ペン・ライ東京」はお気楽タイ人が困った時 や予期せぬ出来事に出くわした時によく使うことば。「大丈夫」とか「気にしない」という意味。10冊の コミックス、オリジナル・カクテルが用意されたタイ風の屋台が設置されている。コミックスは現代のタイ版里見八犬伝。8体の怪物をタイからの3人の祈祷師が退治して東京を救うという話。怪物の名前はそのままオリジナル・カクテルにもなっていてアルコールの強さや性格などが色や味にリンクしているので、是非試して頂きたい。また、コミックスは各号が渋谷、浅草、東京タワーなど東京観光ガイドにもなっている点にも目を向けて読んでほしい。美術関係者や作家の友人など作家の日常生活が巧みに取り入れられている。
何といってもこの作品は不況や先の見えない日本に向けての作家からの心憎いメッセージで大丈夫、大丈夫明るく、しっかりやっていこうよといっているようだ。 |
ナウィン・ラワンチャイクンはタイ第二の都市チェンマイ で1971年に生まれ、現在福岡とチェンマイを行き来しながら活動を行なって いる。彼の作品制作は一貫しており、本展のテーマでもある日常の中のアートを推進しているといってよい。1991年の初めて 参加したチェンマイの「ボラトライン」国立図書館ギャラリーでの展覧会「チェンマイ・ソーシャル・インスタレーショ ン」展では翌年からは組織者の一人となって、社会に対し アートを常に投げかけている。チェンマイ大学美術学部在学中に発表された「失意の芸術調査にあなたのアイデアを寄贈して下さい」 ではチェンマイに住む僧侶から娼婦までを対象にし作品となっている。ナウィン・ラワンチャイクンを世界的なアートシーンに引き上げた作品は95年3月にバ ンコク・ナショナル・ギャラリーで行なった「芸術と環境3」でのタクシーのプロジェクトである。「ナウィン・ギャラリー・バンコク」 と題されたこの作品は、一ヶ月間タクシーを運転手ごと借り上げ移動する展示空間を発表した。このプロジェクトは今では毎年恒例となり2回目が中村 政人、98年1月に行われたのは曽根裕が招待作家として選ばれている。バンコクという 世界の中でもまれに見る交通渋滞を逆手に取りった点においても注目を集めた。この作品の背景には二つの要素を見ることが出来る。一つは95-96年チェンマイで 行われた「ナウィンの運転教室」、これでナウィンはアートを見ていくという視覚体験だけがアートであって、運転の仕方を教えることがアートではないのか、‐注1)と問いかけ日常とアートをイコールにしたと いってよい。もう一点は、ナウィンは作家としてだけではなくキュレイターやプロデューサー的な立場で関わっている点である。この作品の発表の前後に設立した「有限会社ナウィン・プロダクション」はそうした一人の作家活動とこの会社で行なうプロジェクトを略歴においても明快に区別している。 ちなみに来年1999年1月に行われるバ ンコクでのタクシー・プロジェクトはゲスト・キュレイターがハンス・ウーリッヒ・オブリスト で作家がロサンジェルス在住の若きアメリカのホープジェイソン・ローツ(95年「水の波紋」展で 来日してBMWのショールームで作品を制作 している。)で、ロサンジェルスとチェンマイの両方でタクシーと車をインターネットで繋げてリンクさせていくような計画が進んでいる。(あくまで現在までの情報ですので予算 や諸々の条件で変更の可能性があると思いますが) |
|
今回のマイ・ペン・ライ東京では、屋台とカクテルそれ に10巻のコミックスがナウィン・ラワンチャイクンの作品 となっているが、これも故意的に自分の名前を伏せ有限会社ナウィン・プロダクションとしている。作家は今年98 年の4月にアシスタントのピッヤクと10日間ほど東京に滞 在し、昼と夜のハトバスツアーやお台場など(1巻の怪物が始めて出てくる個所など描写が鮮明だ)の下見をし、 膨大な写真と資料を持ちかってこのストーリーに取り掛かった。固まったストーリーをタイのコミックライターに発注して制作させたり、看板に絵を描く専門家に大きな原なども依頼している。とは言っても細部にわたりかなり下調べが行き届いており完成度が高い点がナウィンの作品に対する姿勢を想像することが出来る。当初はこれらのコミックスを屋台で行商していくをメインにしていたのだが、ひょんな事から何か飲物や食べ物を出したいと話し合っていたら、7月 頃突然ナウィンからFAXが届き「今、一週間カクテルの学校に行ってオリジナルの カクテルを出したいんだけれどいいかな?」とい依頼が届き今回の実現となった。ナウィンはこのカクテルのために2週間アメリカ出身のバーテンダーにレッスン を受け夜な夜な改良を加えて10種類のオリジナル・カクテルの 制作にこぎつけたた。
今後の作家の予定だが来年は自分の今までの制作 カタログの製作のせんねんしたいとのことである。 注1−後小路雅弘「タイの現代作家たち」{亜細亜通 俗文化大全}1996年p34-37 |