2006年1月29日"流しの写真屋"と呼ばれた渡辺克巳が肺炎のため65歳で死去した。
残された写真は数千枚にも及ぶ膨大な量。
渡辺克巳(1941-2006)は1957年、故郷岩手の高校を卒業し、写真家を目指して上京、東條会館写真部に5年間籍をおくが、程なく、あやうい世界に引きつけられていった。
折しも日本中が高度成長期にさしかかろうとしていた頃だった。
ああ、これでやっと自由の身になれたーー。
それが偽りのないひとつの実感だった。僕は、わずかばかりの退職金で、新しい引伸ばし機を買った。
“新宿の流しの写真屋”一本で生きることにしたのである。
「新宿群盗伝伝」より
その頃の東京は急激な発展とその影が表裏一体だった。日本中から新宿に集まった人たちは、ギラギラとして、貪欲ですらあった時代だ。その中でも夜の新宿は特別で、人と街のエネルギーや緊張感は肌をピリピリさせるほど尖っていた。
渡辺克巳の写真には、入れ墨や吠えているヤクザの人たちがいる一方、何ともいえない優しい表情の男やゲイ、娼婦達が嬉しそうにポーズを取り、ここ一番と決め登場している。
40年近く時間は過ぎ、「いい時代だったんだね。」
「人と街に温もりがあったんだね。」と人は片付けてしまうかもしれない。
高度成長期に伴いだれでも簡単にカラー写真を撮れる時代になり渡辺克巳は、"流しの写真屋"から焼き芋屋、写真館、雑誌のカメラマンとその職業を変えていくがいつも「新宿劇場のスター」達を撮りに戻ってきた。
生前、渡辺克巳自身が二人の息子に残した文章がある。30年間の仕事をまとめた写真集「新宿1965-97」(新潮社1997年)が出版されたときのことである。
息子 春吉君、
世の中に悪い人はいません。悲しい人がいるだけです。春吉が大きくなってから考えてください。
息子 次郎君、
父ちゃんが32年かかって作った本です。困難がきたとき開けてみると何かヒントがあるかもしれないよ。
この言葉は何故か残された私たちにも妙に響く言葉だ。
もう一度渡辺克巳の1000枚の写真を見返してみることにしよう。
<お知らせとお願い>
この展覧会には、多くの方のポートレイトが展示されます。ご本人、ご家族の方が被写体となっている方で、写真の展示を拒まれる場合、ワタリウム美術館までご一報下さい。展示作品を撤去させていただきます。
また、渡辺克巳撮影の写真をお持ちの方で、展示を希望される方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。随時、展示作品として追加させていただきます。
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